岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気』ーー 「自己啓発の起源にして頂点」そして「極限のアンチテーゼ」を読む
こんにちは、Mistirです。
読書録その10
岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気』
ぶっちゃけ、クソ要素のオンパレードですよね。
「話題沸騰」の「自己啓発」、「泣ける」と「評判」のアドラー「心理学」で、挙句にタイトルが『嫌われる勇気』。
偏見じみた言い方だけど、愛書家は敬遠するんじゃないでしょうか。僕の友達の愛書家が敬遠してました。
僕が愛書家かどうかは別にして、僕も敬遠してました。
でも、断言します。
この本は、そういった理由で敬遠するには本当に勿体無いレベルの本です。
敬遠してた僕も、本屋でパラパラと読んでみたんですが……明らかにそれだけでも「とんでもねえレベルのこと」言ってるってわかるんです。その場でレジに持って行きましたね。
僕はわりと色んな本を読むんだけど、自己啓発系の本も結構読む。
その中で、かなり有名な『道は開ける』についても前に書いた。
で、「6割はまあオススメな本なんだけど……ねぇ」と歯切れの悪いことを書いた。
もっとぶっちゃけると、「コレ読んで怒る人」とか「コレ読んで逆に元気なくなる人」は絶対にいると思うんだ。
……読めばわかると思う。「ああ、分かる!」って人も「全く分からないんすけど」って人もTwitterでリプ送ってくださいね。反応しますから。
でね。
この『嫌われる勇気』は……
「人を選ぶ」とか、そういうレベルをもはや超えてます。
こんなレベルの良書……
99%、おすすめです!!!!!!!
「100%ちゃうんかい!」っていう声が聞こえそうだけど、その理由に関してもあとで書きますねw
いや、気持ちとしては1000%くらいオススメなんですよ。でも、あえてちょっとだけ引いたトコロからも語ってみたい。
よし、とりあえず!
まずは大絶賛させてくれ!
そもそも、だ。
「小説」として読んでも、果てしなく面白い!
ある青年と哲人の対話なんだけどさ。
この「青年」が熱い。
熱いのにウジウジしてて妙に話し方が演劇じみてる。
要は俺らや!!
僕や!!!
……のわりに、この「青年」、言ってることは結構マトモなのである。
そのマトモっぷりを「哲人」がバッサリ否定するのが本当に面白い。
そして、対話という姿を取りながら確実に「物語」は前進していくのです。
「青年」が本当の人生を歩み始めるという、その「物語」が。
中身の話に入りましょう。
もうね。
まず「原因論」から「目的論」への転換。
これだけでも読む価値ありますよ。
このことはAmazonのレビューとかも含め、色んなところで語られまくってるんだけどさ。
「背が低いからモテない」。
この理論は、アドラー大先生に言わせればこうです。
「モテない理由として『背が低い』を持ちだして、『背が高かったらモテる』という可能性の世界に逃避して生きてる」
もうこれだけでもコペルニクス的転回!……なんだけど。
もう語られてることは放置しておいて。僕のブログはニッチなところを突いていこうと思います。
この本が最ッ高にクールなのは、「ごく一般的な自己啓発ならば積極的に肯定していることを下手すりゃ全否定してる」ってことなんです。
「哲人」はこう言います。
他者から承認を求めてはいけない
と。
他者の期待など、満たされる必要はない
と。
ちなみに、凡百の自己啓発書が言うような「他者の期待なんてどうでもいいじゃん、気楽に行こうぜ」みたいなクソ優しい、かつ全く記憶に残らないことを言ってるわけじゃないことは読めば分かります。
この「哲人」に対し、「青年」はこう言います。
違う!それはわれわれの社会を根底から覆すような議論です!いいですか、われわれは承認欲求を持っている。しかし他者から承認をウケるためには、まずは自らが他者を承認しなければならない。他者を認め、異なる価値観を認めるからこそ、自らのことも承認してもらえる。そうした相互の承認関係によって、われわれは「社会」を築き上げているのです!
妙に言い方は熱苦しいけど、言ってるコト自体は「凡百の自己啓発なら肯定的に語られてさえいる」内容に思える。
ちなみに、この「青年」、こう続ける。
先生、あなたの議論は人間を孤立へと追いやり、対立へと導く、唾棄すべき危険思想だ!不信感と猜疑心をいたずらに掻き立てるだけの、悪魔的教唆だ!
もうなんなのこの人。怖い。というより面白い。
そして「哲人」。
ふふふ、あなたはおもしろいボキャブラリーをお持ちだ。
お前らの方が面白いわ!
と、下手なライトノベルより個性的なセリフ回しで対話は進みます。
他にも、哲人は言います。
人は他者からほめられるほど、「自分には能力がない」という信念を形成していく。 よく覚えておいてください。
凄いでしょ?これ。
で、これ読むと僕らも「反発」するよね?
特に脳科学とか教育学に少しでも触れたことがある人は、ここに大いに反発すると思う。
ちなみにここでの「青年」。
どこにそんな馬鹿が居ますか!?逆でしょう!ほめられてこそ、自分に能力があることを実感する。当然じゃありませんか!
うるせえ。
なんというか、僕らの反応を先読みした上で、5倍くらいにして出力してくれるんだよねw
ちなみに、「褒められるほど『自分には能力がない』という信念を形成していく」、読めば納得するので是非読んでください。
さて。
この「対話式」かつ「演劇じみてさえいるオーバーな反発」っていうの、「自己啓発」として隙のない完璧な構成だと思うんです。
何が言いたいかっつーと、「他の自己啓発」がダメなとこって「こっちの話聞かねえ」んですよ。
スゲー人がスゲーこと言ってて、「いやいや……」とか言いたくても、活字の向こう側で作者様たちはニヤニヤしてるんすよ。
それが辛いんです。
でも、この本は「青年」が「濃い俺ら(卑屈な人たち)」を担ってくれてるおかげで滅茶苦茶バランス取れてるんです。
たまにあるつまんねぇ対話は、「相手をヨイショし始め」ます。ギリギリだけど認め合いながら進んでいく議論。「物語」としてそもそも面白くないわけがないし、のめり込めないわけがない。
そこに上乗せされる「アドラー心理学」の衝撃と深さ。
「自己肯定」の全否定とか、滅茶苦茶面白いっすよ。
「自己肯定」は嘘だって断言するんです。
つまり、僕はこの本を一冊の「解説書」として評価してるし、「自己啓発」として評価してるし、「小説」として評価してる。もう、本当に贅沢な書物なんです。
しかも、それだけ詰まってるのに「実用的」です。
僕の信念として、基本的には「本一冊ごときが思想を変えてたまるか」と思ってるんです。
何十冊、何百冊と読みましたが、「良い本」はたくさんあります。
でも、「思考を変える」なんて本一冊でできるもんじゃないんです。本を読んだ知識、あるいはあらゆる経験の蓄積こそが、我々個人なのですから。
でも、その中に『論理哲学論考』とか『ツァラトゥストラ』とか、あるいは『共同幻想論』とか強烈かつ難解な本があって、そいつらが根本的に僕らを変えたりってことはあり得る話ですね。難解な古典ってそれくらいのパワーがあるものが多い。一種の「劇薬」だ。
……でも。この本は、なんというか……
とても、とても簡単なのに。
「劇薬」に十分、成り得ます。
読む前と後で、同じ人間でいられる保証はありません。
人によっては自分の全否定になるかもしれません。
……さて、ここから「1%の」オススメできない理由を言います。
この本……
難しいんです。
実践するのが、鬼のように難しい。
例えば「承認欲求を捨て去る」、できますか?
読めば読むほど、難しくて分からなくなるんです。
書いてることはとても簡単なのに。
あとは……鮮やかすぎて、逆に「騙されてる」気分になります。
例えば「目的論」ですけど、僕レベルにひねくれると「それって冤罪で刑務所に突っ込まれて死刑待ってる人にも同じこと言えるの?」と言いたくなるんです。
で、考えて考えて……「言えるわ」って結論になるんですけど。
「……いや、言える……言える?んん??」と。そうなっちゃう。
ってことは、もっともっと何度も読まないといけない。
僕は5回くらい読んでるけど、もっともっと何度も読まないといけない、読む価値のある本だと本気で思います。
逆に言えば「極限状況を想定しないと穴を見つけることさえ難しい論理」ってことだからね。
徹底的にこの本を「モノ」にしたい。
この本を読むと、幻想に生きることが難しくなります。
可能性の世界に生きられなくなるんです。
二次元の世界は別ですが。
「もしも」の世界に逃避する僕らを、この本は徹底的に叩き潰す。
でも、その分……現実に、生きることができるようになるかもしれない。
そういう本なんです。
あと……もうひとつ。
「好きな本は『嫌われる勇気』です」って言いたくねえ!
あ、この感情の時点で『嫌われる勇気』の内容実践できてねえwww
いや、僕はその自分さえも「受容」するッ!
「受容」した上で言おう!
僕はこの本が大好きです。
だからね、みんな読もう。敬遠せずにさ。ホント良い本だよ。「全日本売れてる本を焼いて回ろう協会会長」の僕がおすすめするよ。
嘘だよ。
おすすめはホントだけどね。
※以下余談
ちなみにこの本、最初に読んだとき「もっと良いタイトルあっただろ……」と思って本気で幾つか適切なタイトル考えてみたけど、考えれば考える程『嫌われる勇気』が最適解に見えてくるので不思議です。
……内容が鮮烈すぎて、これ以上合ったタイトルにすると宗教っぽくなっちゃうんですよ。逆方向にアプローチして『対話篇 アドラー心理学』みたいなタイトルだと絶対売れなかっただろうし。
村上春樹『アフターダーク』ーー小説とカメラの存在、そして執拗に続く「追跡」を読む
こんにちは、Mistirです。
読書録その9
皆さんご存知、村上春樹です。
……が。
このアフターダークという小説、春樹の小説としては「異端」と言ってもいいかもしれない。
というのもこの小説。
まず、「主人公」が不明瞭です。春樹の小説は「僕」を中心とする一人称の小説であることが多いのですが、この小説に関しては三人称であるだけでなく、誰が主人公と言えるかさえ不明瞭だ。
候補は三人ほどいますが、どの登場人物も「主人公」と呼ぶには違和感がある。
そしてもう一つ、春樹ってあまり「文体実験」はしないっていうイメージがあるんですが……
この小説は思いっきり「文体実験」してますね。例えば、のっけからこの始まり方です。
目にしているのは都市の姿だ。
空を高く飛ぶ夜の鳥の目を通して、私たちはその光景を上空からとらえている。
「私たち」って誰だ?……と、春樹はこういった「不明瞭な語り手」みたいな実験はあまりしないイメージあったんですが……そうでもないみたいです。
この小説の特徴をざっくり言うなら……
難解。
さらに言えば、ぶっちゃけ退屈。
何故退屈なのかというと、ストーリーがほとんど無いからです。
アフターダーク……タイトル通り、「夜明け」に至るまでの様々な出来事が描かれているわけですが、春樹の代表的小説、『海辺のカフカ』や『羊をめぐる冒険』のような「エンターテイメント感」はあまりありません。
でも、結構「良い」小説だと思うんですよね。
まず、「カメラ」に関するお話。
この小説は、執拗なまでに「カメラ」を通した世界をイメージさせてくる。
「私たちはカメラの視点として〜」みたいな語り方が非常に多いんだよね。
三人称の小説に付きまとう問題なんだけど、僕らは「語り手」が「語る」世界を信じるしかないんだよね。
一人称の小説の場合「僕」が観る世界を間接的に「観る」ことになるわけだ。
だけど、三人称の小説の場合「誰が」観る世界を観ているのかな?
というと、もちろん「筆者」で済ませてもいいかもしれないけど……私たちって春樹と読者のこと?それだけ?
それで済ませるのって、違和感無いですか?
で、この「語り手」の問題って文学の代表的なテーマの一つでもあるんだけど、滅茶苦茶ややこしい。難しいので一般論として語るのはやめておこう。
で、この小説の場合「語り手」はまるでテレビ番組のナレーターのように、僕らの思考によりそって世界を「解説」してくれる。まるで昔のラジオ番組のようだ。
そのナレーションを聞きながら、僕らの「目」がカメラになって……都市を上から眺め、そこから個人の出来事を眺めるように動いていくカメラになって、小説の世界を「追いかける」のだ。
まるで新米カメラマンのように。
そのカメラが写す世界は、「大きな都市の営み」。
主要な登場人物の一人である高橋が、法律を「異様な生き物」「巨大なタコのようなもの」と語るシーンがある。
「自分と犯罪者を隔てる壁は実はとても薄く、実は『あっち側』だと思っていた世界は既に『こっち側』に侵食しているのかもしれない」とも高橋は語っている。
村上春樹という人物は「こっち側」と「あっち側」という考え方に妙なほどこだわる作家だ。何故こだわるのか?と言えば、もちろん阪神大震災があったりサリン事件があったりと、色々そういう風に語ることはできるわけだけど……
そういったものを保留しておいたとしても、とりあえず言えることは。
「僕らがカメラとして見ているこの小説の『都市の姿』は、果たしてこっち側?それとも……」
単純化した、ひとつの読み方に過ぎない読み方だけどね。
もちろん、いくらでも解釈できるような描き方をしている。で、どれが不正解でどれが正解ってこともない(良し悪しはあるだろうけど)。
僕がこの小説で面白いと思うのは、この「カメラ」という存在が一点。
もう一つは「追跡」、あるいは「追いかけっこ」というテーマ。
断言すると、僕らは「逃げている」。何から?法律という巨大な生き物から。そして、「自分自身の影」から。
後半で、ある登場人物がこう述べる。
「ときどきね、自分の影と競争しているような気がすることがある」
(…)「どれだけ速く走って逃げても、逃げ切れるわけがないねん。自分の影を振り切ることはできんもんな」
この小説に出てくる登場人物は、みんな「何かに追われ」ている。
具体的な脅威であり、あるいは抽象的な恐怖であり……
さて、ナレーションを元にカメラとしてこの世界をある種「構築」する僕らは……何に、追われているのかな?
……。
まったくもう。妙に難解な読書録になっちゃったじゃないか!
Mistirの馬鹿!
春樹の小説って「解釈」されるためにあるようなものばかりでさ。
具体的な「謎」をリストアップする読み方もあれば、僕のように「キーワード」を元にその関連から本を読み解くという方法もある。
なんやかんやで、村上春樹という作家は「面白い」のだ。
……わりと退屈な本であることも事実だけどね。
少なくとも、『海辺のカフカ』と比べると。
でも、この世の中には「退屈だけど面白い」ものもあるんだぜ。
そして大抵、そういった作品を世間は「文学」と呼ぶ。……もちろん例外もあるんだけどね。
だから、「面白い、エキサイティングな小説」を期待するなら、読まない方がいい。
でも、非常に興味深い本ですよ。
もし色々解釈とかありましたら、良ければ僕に聞かせてくださいね。
Twitterとかこちらのコメントとか、どこでもいいので。
Mistirの自己紹介
こんにちは、Mistirです。
この記事は、最近Twitterで読書好きの方からたくさんフォローいただけるようになったので、自己紹介しておきます。
大学でフランス文学を勉強してた新米社会人です。
専門はジョルジュ・バタイユでした。
自我や自意識が小説で小説でどう「描かれ得るのか」っていうこと研究してました。
重度の電子書籍ユーザーです。
電子書籍使わないと、荷物重くなるし部屋が狭くなります。
今の電子書籍アプリには不満もありますが……。
たまに絵を描きます。ゲームもします。
あと、ニコニコ大百科の「難民」の記事は僕が作りました。
とは言え、今独自の発展を遂げてえらいことになってます。
ついでに、大学時代に書いたこういった記事がニコ動の上の黒い部分で紹介されたりして、えらいバズったりしてました。
基本的に閲覧数が伸びるよりも、記事に反応頂けるのが一番嬉しいです。
ごめんなさい、ちょっとだけ見栄張りました。
やっぱり閲覧数伸びると嬉しいです。
まあ、このブログは基本的に読書の記録を残し、ついでに本について語れれば嬉しいなぁと思って始めました。
15000冊読んで記事にすることが目標です。50年くらいはかかりそうです。
このブログで更新する記事は、基本的にその本を読んでない人でも楽しめて、読んだ人はもっと楽しめるような記事にするつもりです。
ネタバレはなるべくしないので安心してね。
本はラノベ〜一般小説〜批評まで幅広く読みます。
ラノベの割合がやや多いですが、ラノベは疲れてても読めるので……。
好きな本は
『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』
『ダンシング・ヴァニティ』
『働くことがイヤな人のための本』
『太陽の塔』
その他色々です。
それから、あまりにも有名な本なのであまり名前を出したくないですが
『嫌われる勇気』
ですね。
しゃあないです、良い本ですから。
ってことで、よろしくお願いします。
オススメの本とかあれば教えて下さい。なるべく読みます。
中村淳彦『ルポ 中年童貞』ーー中年童貞の悲劇と、悲劇を眺める「僕らの姿」を読む
こんにちは、Mistirです。
読書録その8
中村淳彦『ルポ 中年童貞』
TwitterのフォロワーであるTさんにオススメ頂いた本です。
僕は基本、オススメ頂いたら読むようにしてます。
……だがTさん、僕に何故これを勧めたッ!
……深くは言わないですが、僕は「中年童貞」ではないです。
それだけ言っておきます。「中年童貞」ではないです。
この本は色々思うんだけど。
少し「自分より明らかに下の人を見下し、安心感を得るための本」になっちゃってる気はして。
だけど、「そうじゃないとするならば、『どういった視点から』この書物を読むべきなのか?」っていう疑問は残る。
例えば、この本の後半には「性の問題を解決する」ことを目的とした組織であるホワイトハンズという団体の具体例が書かれている。
この団体は「見合い」や「夜這い」というような文化が消え、過度に「自己責任」と化した恋愛と性の問題を見つめ、物凄い方法で解決を測ろうとしてる団体だ。
具体的に本の中に書かれてるんだけど、「童貞と処女を集めて卒業させる企画」とかやって大炎上したらしい。そりゃそうや……とは思うものの、本書を読んで主張を聞く限り、滅茶苦茶真っ当なことを言ってるように聞こえてくる。この辺りは是非読んでみてね。
で、読者である「僕ら」は、「マジやべえ」とは思うものの、「どうこうしよう」とは思わないのではないか。この「ホワイトハンズ」という団体のように
……この本を読んで、何を思えばいい?
まー、この辺りは「歴史問題の本を読もうと何もできない」のと同じように、問題を把握することそのものに意味があるのかもしれないけどさ。
一応、「自分より明らかに下の人を見下し、安心感を得る」っていう読み方に関して言うとさ……
わりと本気で仕事辞めて図書館でひたすら読書して生きようかとかたまに思う社会人だったんだけど……
会社辞めるのやめようと思いました。
コワイコワイ。ホントに。怖くなりました。
辞めた末路が、本書で紹介されてるような人たちだと考えると……怖くなります。
これって確かに「下を見てる」わけだけど。
僕は普段からわりと「下見るって大事だぜ」って言ってます。
リアルでもたまに言ってます。
有吉弘行が『お前なんかもう死んでいる』という本で「上見るな!!!」ってことを散々語ってるんだけど、僕が言う「下を見ろ」は似た部分もあるけど違う部分もある。
僕が「下見たほうが良い」って言うと、みんな「いや、上見たほうがいいでしょ」って言うんです。
で、僕はニヤニヤしながら言うんですよ。
「上、つまり『デキる人』とか『上手い人』とか、そういう人は『何がデキるのか』とか『何が上手いのか』ってわからないでしょ?例えば、『あの人仕事できるな』って思った時、『どこが凄いんだ?』って普通分からないし、分かったとしてもマネできないじゃん。でも、『あの人マジで無能!』って思ったとき、『何がダメなのか』って考えるのは簡単だし、自分が『ダメなことをしないようにする』のも比較的簡単でしょ?そう考えたほうが楽だし効率的なんだよ」
こう言うと、納得してもらえることが多い。
ってことで僕は「下を見る」ことを一つの方法論として実践してる……わけなんだけど、やっぱり性格悪いよなぁ我ながらw
まあ本筋とは外れたけど、読書の楽しみ方なんて100人いれば100パターンあるべきだから、そういう「下を見て安心するだけ」っていう本の楽しみ方も「誰も咎めることはできない」のではないかな。
……で。
ふと、ぞっとするんですよね。
「そうやって誰かを下に見てる僕は」
「誰かを下に見る人間は」
「いつでも、下になる可能性がある」
「というか、そもそも……」
『自分が下じゃないなんて、いつから勘違いしてた?』
軽くホラーですね。
人を呪わば穴二つ、人を見下せば人から見下されます。
まあ僕が言う「上下」っていうのは、例えば「人前で話すのが上手い、下手」みたいなわりと明確に分かるものだけの話です。人前でお葬式みたいなスピーチする人、たまにいるからね。
人間性の上下とか、そういうことは考えただけで不幸になっちゃうから考えないです。
……ま、まぁこの本はその「人間性の上下」をモロに語っちゃってるんだけど……
それは置いといて。
純粋に読み物として考えると面白いけどさ。
あと、筆者の中村氏もどちらかというと「中年童貞」や「非リア充」寄りのメンタルをきっちり持ってらっしゃる方なのかなぁ、と思った。
この本には「弱者をいじめる」意図はあまり感じない。マスコミがたまにオタクを動物扱いするような「いじめ」の意図は見えなかった。
それでも、どうしても「人格に起因する問題」を描く以上は「偏った」ものになっちゃうわけで、ある程度は仕方ないかもしれない。
特に同書が書かれるきっかけとなった第六章なんて、もう完全に筆者の「愚痴」を感じる。そんな人間おらんやろ!と言いたくなる具体例が書かれている。
僕は、それを読んで何を思えば良いか分らなかった。
やっぱり、「どの」視点で読めばいい?
あとは……僕の感覚的な問題だけど。
「運が悪かった」というそれだけの理由で「中年童貞」になった人も滅茶苦茶いるんじゃね?と思うんだよね。
この本で書かれてるのは「そりゃ彼女どころじゃないわ」みたいな例ばかりだからさ。もっと「悲劇でないがゆえの悲劇」というかさ、「普通の人が彼女できない悲劇」みたいなのってあると思うんですよ。
まあこの筆者も「インタビューするのめっちゃ困る。『童貞ですか?』って聞くのもはばかられるし、普通それでインタビュー受けてくれないし」みたいなこと言ってるから、この辺りはこれからもっと追求するのかもしれない。
やっぱり、問題の捉え方は滅茶苦茶面白いんだけど、「偏ってる」感が拭えないんだよなぁ。
仕方ないんだけどね。
単純に面白い本なので、読んでもいいかもしれません。
とりわけ、「現代の恋愛が過剰な自己責任によって成り立っている。しかもその歴史は全然長くない」っていう観点や、介護事業がいかに歪なものになったか分析されてる過程は凄く面白かった。……それを真に受けて良いかどうかは別だけど……そして、真に受けられないのに楽しめるってことは逆に言えば面白けりゃなんでもいいってことになっちゃうけど……
ああ複雑だなぁもう。
複雑すぎて、とっても歯切れの悪い記事になっちゃったじゃないか!
……もう面倒だ!
「社会人も悪くない」って思える本なので読むといいと思うよ!
これで終わり!!!
またね!!!
榎宮祐『ノーゲーム・ノーライフ』ーーラノベ界の「古畑任三郎」を読む
こんにちは、Mistirです。
読書録その7。
通称『ノゲノラ』。
1巻〜3巻の内容をまとめて語ろうと思います。
アニメ化もされた人気作で、作者が有名なイラストレーターっていう変わり種の作品。
もちろん自分自身で挿絵も中身も担当してる。
どんな小説かっつーと、「チートやTASを超えるレベルのゲーマーである兄妹が、ゲームで全てが決まる異世界に転送され、無双する話」って感じ。
で、結論から言うと1巻はあまり「声を大にしてオススメと言いたくない」。
面白くない、とは言わない。どちらかと言えば、面白い。
でも、あまりオススメはしたくないです。
2巻、3巻は凄くオススメしたいです。
ついでに言えば、「この小説は現代のラノベの理想的な在り方を示してるんじゃないか?」と思わないでもない。その理由はゆっくり話そうと思う。
僕はニコ動でアニメを観るのが好きなんだけど、1巻の内容に当たる部分(チェス)はかなり「賛否両論」というか、「原作でもいまいち評判が良くない」っていうコメントが目立ってたことと、2巻の内容に当たる部分(しりとり)は絶賛されてた記憶がある。
で、この小説。
基本的に主人公サイドが、絶対に負けない。
負けるビジョンが想像できない。
そういう描かれ方をしている。
これは、例えて言えば「事件を解決できなくて困ってるシャーロック・ホームズ」が想像できないのと同じだと思って欲しい。
って、シャーロック・ホームズは二作くらいしかまだ読んでないけど……
分かる人にしか分からない例え方をすると、「論破される中禅寺秋彦」って想像して欲しい。
それくらい、主人公サイドは「最強」として描かれてる。
これって何の楽しみ方かっつーと、「暴れん坊将軍」の楽しみ方なんだよね。
ほら、「暴れん坊将軍」が斬られて死ぬトコロ、想像できないでしょ?
これはいわゆる「主人公無双系」、言い換えると「俺TUEEEEEE系」小説で良く見られる構造なんだけど、この構造、弱点がある。
「凄い!常人の10000倍もの魔力を放出して敵を倒すなんて!」……って感じで主人公の強さを語られても、反応に困るでしょ?俺魔力使えんし。
あと、仮に現実的であったとしても「握力1000キロ」とか言われても……なぁ、ってなる。
よくネタにされてる「主人公無双系」の代表格、『魔法科高校の劣等生』が抱えてる弱点はここなんだよね。
一周回ってネタになっちゃう。
だけど、この構造に……
「古畑任三郎」が加わることで、「主人公無双」に違和感が少なくなるのである。
で、この『ノーゲーム・ノーライフ』は「古畑任三郎系ラノベ」だと思うのだ。
一言で言えば「倒叙だよねコレ」で済む話なんだけど。
倒叙って言い方僕もググって知ったし、それに実際『ノーゲーム・ノーライフ』は全く倒叙ではないので、柔らかく説明します。
どういう点で「古畑任三郎」なのか。
古畑任三郎は、「あらかじめ犯人が分かっている」作品だ。
そして「その犯人を追い詰める」「過程」を視聴者は楽しむ。
犯罪の解決は、「前提」なのだ。
勝利は、「当然」なのだ。
まあこれは「倒叙」ではない推理小説にも言えることだが……。
ノーゲーム・ノーライフにも似たようなことが言える。
「勝負に勝つ」ことは前提条件。だから、「どっちが勝つんだ!?」とハラハラすることは全くと言っていいほどない。だって主人公サイドに負けオーラが全く無いんですもん。というか「負けると作品否定」ってところまで追い込んでる。
で。
「勝つ」ことは前提で、「どうやって勝つか」は全く分からない。
でも、「事件の全貌(犯人)」が見えているように「ゲームの全貌」も見えてる。後出しも多いけど。
「人間がTAS(理論上可能な限界値でのゲームプレイと考えてください)を超えられるならどうなる?」という、ある種の思考実験の過程がこの小説なんですよ。
で、それがなかなか面白い。
もちろん勢いで理屈を乗り切っている部分は多々あるんだけど、……特に1巻の「チェス」はその傾向が酷かったんだけど……
それでも、面白い。
正直、2巻の勝ち方は相当凄くて、「こんなのよく思いつくな……」と鳥肌モノだった。いや、もちろん突っ込みどころを探せば幾らでもあるんだけど、そんな無粋なことしなくても十分「面白い」。アニメを観た人は分かると思うけど「しりとり」です。アニメの出来も凄く良くて、何度も見ちゃったなあ。
とにかく、「実は握力1000キロなので勝ちました!」みたいな雑なことはしない。無茶苦茶でもきっちり理屈っぽく書いてます。
で、何が「ラノベの理想的な在り方」なのかというと……
まず、批判されやすい「主人公が強すぎる」「努力をしない」という点を、圧倒的な勢いの理屈で乗り切っている点。
魔力がどうのこうのとか、努力の量がどうこうとか語られるより「あ、そんな方法でゲームに勝つのか!」という鮮烈な驚きのほうが、ダイレクトに楽しめる。
もちろんこれって相当、作者に技量がいるものだ。例えば漫画で例えるのもどうかと思うけど、色んな意味で話題のDEATH NOTEで考えると……DEATH NOTEみたいな小説書いて、って言われても無理でしょ?
この作品が「DEATH NOTE」レベルかと言われると僕には判断できないが、でも近いものはある気がする。アレは主人公とL(ライバル)の戦い、っていうストーリーだから根本的に構造が違うんだけどね。
で、僕個人が作品を評価する上で結構モロに考えちゃう要素なんだけど……
作品や登場人物に「執念」や「信念」、強すぎてねちっこいレベルの軸みたいなものがあるか。
僕はチョロいので、そういう要素に弱い。
で、この作品は、滅茶苦茶そういう要素を強調してる。
「人間は弱い」っていう要素を、滅茶苦茶強調してる。
無粋なことを言うなら、「それだけ最強設定主人公が言っても説得力ねーよ」で終わっちゃうのだけど。
なんというか、読んでるとそのツッコミは無粋だな、と感じる。
一本筋が通ってるように思えてくるのだ。
これは感覚的なモノなので、読んでもらうしかないのだけど。
結局、「主人公無双」「異世界転送系」と「批判されやすい」要素のカタマリみたいな作品なんだけど、「筋が通ってて」「圧倒的な理屈を叩きつけてくれるなら」そのパワーに納得せざるを得ないんじゃないか、と思わせてくれる。
で、どちらもやってるこの作品は、やっぱり「良いラノベ」と言ってもいいと思う。
そんな作品です。
ただし、注意。
イタいです。
とてもイタいです。
「イタい」は別に褒め言葉でも貶してるわけでもない。
でも、「イタい」ものは「イタい」。
いや、主人公の信念が「イタい」とか、いわゆる「カッコイイ台詞」が「イタい」んじゃない、それは全く違う。
いや、そっちも「ややイタい」というか、厨二病全開なのですが……
ただただ、「イタい」んです。
時折「うわぁ」ってなります。
僕は嫌いじゃないけど、嫌いな人かなり多そう。
で。
後書きはもう「イタい」通り越して「痛い」です。
「オタクこじらせたミサワ」です。マジです。
寝てないアピールは確かなかったと思いますが、滅茶苦茶近いですね。
……でも、僕はこの作品(絵+文章)を生み出せる作者を物凄く尊敬しているので……
「やっぱこれだけの小説生み出せる人ってぶっ飛んでるんだなぁ」と思いつつ、自分はまだまだ甘い、痛さが足りないと思いながら読んでます。
痛みが足りないって何か悪役みたいでカッコイイね。
あ、もちろん後書きの痛々しさは作品の質を一切損ねるものではないのでご安心ください。僕も批判の意図で書いてるわけじゃなくて、ある意味感動を伝える意図で書いてます。
いやーマジで榎宮先輩リスペクトっすわー。
マジで。
……『ノーゲーム・ノーライフ』、オススメのラノベです。
1巻が面白くないと感じた人も、2巻を読む価値はあると思いますよ。
諸星悠『空戦魔導士候補生の教官』ーー読んでて恥ずかしくなるラノベを読む
こんにちは、Mistirです。
読書録その6。
諸星悠『空戦魔導士候補生の教官』
なんでこの小説を読んだ!俺!
ワルブレが好きだからだよ!!
と言ってもなんのことか分からない人が大半だと思うので、軽く説明しておく。
聖剣使いの禁呪詠唱というアニメがあった。
禁呪詠唱って書いてワールドブレイクと読みます。
もう一度言います。
禁呪詠唱と書いて。
ワールドブレイクと読みます。
いわゆる「主人公無双系」ではあるのだが、戦闘シーンや端々の描写が妙にシュールな愛すべきアニメで、ハマる人はとことんハマる強烈な魅力があったアニメだ。
で、その『聖剣使いの禁呪詠唱』と全く同じ監督、同じ制作スタジオが作るアニメが『空戦魔導士候補生の教官』で。
僕はそのアニメをニコニコ動画で観るのを楽しみにしてたんだけど……
有料配信だったんですよ。
僕、テレビ持ってないんです。
詰みました。
いや、ぶっちゃけ僕が楽しみにしてるのはニコニコ動画でコメント見ながら観ることなんです。DVDで観たいとか、そういうのではないのです。
……悔しいので、原作を買いました。
で、笑っちゃいました。
これは……スゴイな、色んな意味で。
前置きが長くなりましたが、ここから読書録。
ぶっちゃけ、びっくりするほど「面白くない」です。
途中から結構テキトーに読んでました。
いや、「面白くない」じゃないのかもしれない。
「ベタすぎる」んですよ。
僕、「王道展開」は大好きなんです。
でも、なんか「王道展開」で済まされない何かを感じた。
要は「裏切り者扱いされてる超有能な主人公が、才能のある問題児三人を育てる」、で「三人はタイプの違う美少女」っていう、まー、なんというか……
ああ、最近のライトノベルだ、悪い意味で……っていうそういう本です。
主人公が「有能」っていう意味なら、昔『鋼殻のレギオス』っていうライトノベルを読んだことを思い出すけど、アレはこんなにふざけた感じじゃなかったんだよなぁ。
なんというか、この小説は……
登場人物に、何ら魅力がない。
これが大き過ぎる。
ボロクソ書いてますけど、「違うんだよ!次から滅茶苦茶キャラクター掘り下げられて深くなっていくんだよ!」っていうご意見があれば、是非ツイッターでリプ送るなり、こちらにコメントでも書いてくださいね。それなら読むので。
でも、1巻の段階では本当に何も魅力がない。
うーん……
これが売れるってのは、なんでなんだろうね?
いや、悪口じゃなくて……
この小説は、どういう小説を求めてる人たちにウケてるんだろう?
やっぱり王道展開が好きなら、いけるのか?
もしかすると、僕がラノベを読むには老けすぎているだけ?
いやいや、今読んでも面白いと思うラノベ、たくさんあるよ?
……ああ、そう言えば。
もちろん、僕は『聖剣使いの禁呪詠唱』の原作も読んでます。
正直、そっちもそれほど面白いとは思えないけど、でもところどころ「上手いなぁ」と思うことがある。
こちら『空戦魔導士候補生の教官』にはそういうのが、あまりない。
王道だけど、あまり努力してる感じじゃないし。
唯一の努力系ヒロインの努力描写も正直上手くない。
あと、「可愛げ」がない。主人公無双系はこの「可愛げ」がとても大事なんだけど、全くそれがない。
一応弱点らしきものは後半に判明するんだけど、ファンタジー系の弱点で、どうも実感が伝わらない。
こういう本を読んでいると、「自分との対話」が始まる。
何故面白く無いと感じるんだ?それは主人公が努力していないから?
カタルシスがない、それは何故?
そもそも、何故キャラクターに魅力がない?
ああ、そうだ。
……信念が、無いんだ。
「俺は人々を護る!」とか、そういう系のことは言ってるんだけど……そこに信念を感じない。
最近思うんだけど、僕はけっこうチョロい男なので、「信念を感じるキャラ」がいたらそれだけで作品を高く評価しちゃうことが多い。
……と、こんなふうに考える読書の時間を与えてくれる小説、ではある。
ってことでオススメですよ、『空戦魔導士候補生の教官』。
……アニメ化されたってことは、やっぱりここから「普通の意味で」面白くなっていくのかな。
情報次第では、続きも買います、もちろん。
優先順位としては現状、滅茶苦茶低めかな。
うーん、やっぱりちょっと悪く書きすぎてる気がするぞ。
でもなぁ……やっぱり対象年齢の問題なのか?うーん……
と、ブツブツ考え続けるMistirなのでした。
デール・カーネギー『道は開ける』ーー自己啓発の「聖域」を読む
こんにちは、Mistirです。
読書録その5。
デール・カーネギー『道は開ける』
どこかの7つの習慣と同じく、神格化されてる自己啓発本ですね。
ちなみに7つの習慣はコンプリートすると龍を召喚できるそうです。
嘘です。
さてさて。こちら、『道は開ける』ですが……
読んでから知ったんですけど、作者のデールさん、鉄道王のアンドリューさんとは別人なんすね。どうでもいいいけど。
どうでもいいことは置いといて。
うん、ぶっちゃけ「すごい本」ではあるんですよ、間違いなく。
あらゆる「自己啓発本」が陥るジレンマとして、どの自己啓発本も『超スゴイ!俺の成功集』とか『マジパねえ!俺のありがたいお話』になるっていう弱点があるんですが……
この『道は開ける』はびっくりするほど徹底的な「帰納法」で書かれている。
もっと分かりやすく書くと、具体例の数がパない。本当にパない。
最後なんて怒涛の30人分具体例ラッシュ。
で、やっぱり演繹的な意味でも「論理的」。
例えば、物凄い不安に襲われた時、基本的には「起こらないから気にするな!」ってスタンスなんだけど、それが無理なときには次のステップを試せ、と書いてある。
1.最悪の場合どうなるのか考えること
2.最悪の事態を必要ならば受け入れる覚悟をすること
3.最悪の事態を改善すべく、落ち着いて時間と労力を注ぐこと
……という三段ステップは、覚えておく価値があると思う。
結構、即効性のあることもたくさん書いてる。
ってことで、この本に対して6割は僕、肯定的です。
ここから残り4割書きまーす。
『7つの習慣』も『道は開ける』も、「聖域化」してるのか知らないけど、あまり悪い評判をネット上で聞かない。
……というか。そもそも、「こういう本を批判したがる人は、そもそもこういう本を手に取らない」が正しいのかもしれない。
僕は「読書マゾヒスト」ですし、「この世に読む価値のない本などほとんど存在せんのだ!」という立場なので、楽しくこういった本も読むわけです。
自己啓発ってフツーに読めば、読者が自分を変えるために読むものだと思うんだけど、「読み物」として、「エンタメ」として読んでも楽しかったりするんだよね。
おっと話がズレた。
で、『道は開ける』の何が良くないかっつーと……
『「KAROSHI」が世界中に広まっちゃってる、日本っていう国家』に「必ずしも」合わない考え方が多々含まれてる気がするんですよ。
二週間で鬱は治るとか言ってるんだぜ。いや、もちろん現代で定義された「うつ病」のイメージで言ってないのかもしれないけどさ。
この本を素直に受け入れるためには、日本の社会的闇の側面を見過ぎた。
あと「色んなところから」主張を集めてる分、よーく読んでみるとちょっとだけ「ブレて」る。
「リラックスが大事っすよ!(要約)」の直後に「死ぬ気で仕事に取り組んだから何とかなったんすよ!(要約)」って話が来たときはさすがに本気でビビった。
っつーか、極論だけど「こういう本が」「今の日本の長時間労働を生み出した」って言っても過言ではない……と言い切れるような……過言な……ような。
何度も言うように、「良い」本なんですよ。
例えば「『祈り』に効果がある」ことを非常に論理的に語ってたりする。宗教化の立場から、そして無宗教の立場から語る。これは正直、「おー素晴らしい」と思った。
だけどね、やっぱ「これ経営者が人を使うのに都合の良い本だよな~」って思っちゃったら、もうアウトっすね。
そういえば、僕はこの本が凄く好きなんだけど。
この本にそういう「嫌気」が無かったのは、「俺ら」が描写されてるからかな。
そう、『道は開ける』には「俺ら」がいないのだ。
「成功者」しか、いない。
またいつか再再再再読くらいしたときに『嫌われる勇気』の読書録も書くと思うけど……簡単に説明しておくと。
『嫌われる勇気』は「俺ら」と「哲学者」の会話という形態で話が進む。
……いや、もちろん実際は「俺ら」じゃなくて「悩む青年」なんだけど。
俺ら「んなわけねーだろアホか」
哲学者「(超冷静な論破)」
俺ら「死ね」
哲学者「(超冷静な論破)」
こんな感じで進むから、すっと入ってくるんだよね。
あ、実際の本はもっともっと冷静で論理的な議論してます。
滅茶苦茶熱苦しいけどね、この「悩む青年」が。
ついでに言えば、『道は開ける』は結局のところ「アメリカのテレビショッピング」なんですよ。
こんなこと指摘してるの、ネット上広しといえども僕くらいなんじゃないか?
「マイケル聞いてくれ。俺はこんなひどい状況で、もう動けないくらいだったんだ。だがな、この方法を使うことで、立ち直った挙句社長にまでなっちまったんだぜ!」……うん、我ながら酷い悪意だけど、だいたい具体例は全部こんな感じ。
もちろん、斜に構えて見過ぎな気もする。
あまり極端に斜に構えた見方は好きじゃない。
何やっても何が起こっても何を見ても悪い側面しか語らない、そういう語り方が僕は大嫌いです。
でもね、やっぱりこの本を「賛美」する気にはなれない。
何度も言うように、「良い本」なんだけどね。
特に「不安」には結構効くよ。
まあ、「一歩離れて」読む分にはオススメの本ですよ。
『嫌われる勇気』の方がオススメだけど……アレは毒薬にもなるからなぁ。